松尾山城  No21362−01 (まつおやまじょう)       

主郭の内桝形虎口 主郭の西面土塁

城郭の概要                  
別  名 : 長亭軒城
所在地 : 不破郡関ヶ原町松尾
築城年 : 応永年間(1394〜1428)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、井戸
訪城日 : 平成23年5月2日

歴   史
松尾山城は、応永年間(1394〜1428)美濃国守護土岐氏の小守護代富島氏が松尾山南麓に構えていた居館(現在の聖蓮寺)に対する詰城として築いたと云われている。富島氏は、土岐氏が滅ぶと斎藤氏に、永禄12年(1569)斎藤氏が織田信長に滅ばされると、織田氏に従ったとされる。
元亀元年(1570)織田信長が越前・朝倉義景の討伐を開始すると、妹婿である北近江の小谷城主・浅井長政が信長に反旗を翻し、金ヶ崎城を攻める信長の背後を襲った。信長は危機一髪で挟撃から逃れ、敦賀から朽木谷を通り京へと逃げ戻り、京から鈴鹿山系の千草峠越えで岐阜に帰還した。これに対し長政は近江と美濃の国境沿いの近江側に長比城や苅安尾城(上平寺城)を築き、さらに美濃側の要地である松尾山を長比城の城将堀秀村の家老樋口直房に占拠させ砦を築かせた。
しかし、信長の近江侵攻に際し松尾山、長比城、苅安尾城は誘降に応じ戦わずして開城した。その後に信長の命により不破光治が国境守備のため在城したが、天正4年(1576)近江の平定が成り境城の使命も終わり、天正7年(1579)廃城になった。
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の際、西軍の石田三成は大垣城主伊藤盛正に大垣城の提供と松尾山城の修築を要請し、松尾山城を大坂城にいた西軍の総大将毛利輝元が美濃へ出陣したときの本陣にするべしであったが、盛正は小早川秀秋によって松尾山から追い払われ、秀秋が布陣してしまった。秀秋は徳川家康に内通しており、奥平貞治が監視役として付いていた。
関ヶ原合戦が始まったものの秀秋は動こうとせず、業を煮やした家康は鉄砲隊に松尾山に向けて発砲させ、これに驚いた秀秋は大谷吉継の陣へ攻め降り、これを機に脇坂安治らも東軍に寝返り、側面に攻撃を受けた吉継はこれを支えることができず、西軍は総崩れとなり大敗を喫した。

構造と感想
松尾山城は北から北東方に関ヶ原盆地を見下ろす標高293.1mの松尾山の山頂一帯に築かれた西美濃最大級の山城で、関ヶ原合戦の際に小早川秀秋が陣を布いたことでよく知られている。
この城は他の関ヶ原合戦の陣所と違い国境の要衝地に位置することから、戦いの度ごとに利用され堅固な造りの城郭となっている。築城の目標が対美濃であったり、対近江であったりと時々に変わり、大手筋も美濃側松尾口、近江側平井口と二方になっている。主郭を山頂に置き、東や南西、南にのびる尾根筋に多数の郭を配している。
主郭は南北にやや長い弾丸形で周囲を土塁で囲繞し、南東隅に内桝形虎口が開く。主郭からは関ヶ原合戦場を一望でき戦況を一目瞭然で知りえたであろう。虎口を出て南に降ると南尾根の土塁に囲繞された郭に入る。その南端から堀切の土橋を渡り、削平地を経て平井方面へと通路が延びる。
東尾根の付根から松尾口の通路が降り、尾根のその先は細長い土塁の付帯する郭が設けられ、東端を堀切で区画、さらに先に三段の削平地が続き切岸で終わる。
主郭西側の浅い谷を隔てて南にのびる尾根の二つのピークに50m×30m程の大きな郭があり、谷間の北面も土塁が付帯し、北東隅から主郭の東下犬走を通り、東尾根付根へと通じている。谷間の南面は空堀とその外に土塁を設けている。西尾根の北郭は北と南面に土塁が付帯し、東面中央に坂虎口が開き谷間に降りる。鞍部を隔てた南郭は北面に食違いの土壇を築き、南端は食違いの竪堀を落している。
さらに主要な郭には腰郭や帯郭が付帯し、各郭間は複雑な連絡路や武者走りで縦横に結ばれている。
西軍の本陣を置こうとした城郭だけあって、造りは複雑で堅固な防御施設が設けられ、城域も広大である。眺望も関ヶ原を一望でき、松尾山城の重要度を肌で感じることができる。

道 案 内
名神高速の関ヶ原インターで降り、右手に折れ国道365号で上石津方面へ少し南下すると高速道路のガ−ドを潜る。ガードを出て180m程行って右折し、道なりに390m程走りT字路で西方向に右折する。1.5km程道なりに西進した十字路で左折に細い道に入り、110m程南下すると右手に5台分程の駐車場があり、ここから案内に従い、4〜50分程東海自然歩道で山を登ると城跡である。
この登山道は松尾口大手筋になるが、山の南側にある「聖蓮寺」の付近からも登れる。これが平井口大手筋である。

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石田三成の笹尾山を望む          主郭虎口   
 
主郭の内枡形虎口          主郭北下の犬走り
 
主郭に建つ城阯碑         西郭の土塁