飯縄城  No20215−02 (いいづなじょう)       

主郭 主郭背後の堀切

城郭の概要                  
別  名 : 上西条山古城
所在地 : 塩尻市塩尻町上西条
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、
訪城日 : 平成28年11月28日

歴   史
『信府統記』に「上西条山古城地、上西条村ヨリ巳午(南南東)ノ方二十五町、小笠原簡斎居住アリシト云イ伝ウ」とあり、この城が当城を指すものと考えられている。
『塩尻市誌』は、「この飯縄城の構築年代を不規則な小削平地を無数に設けるなど縄張りにまとまりが感じられないので、15世紀末期〜16世紀初頭の構築と推定することが可能である。ただし、三城とも土塁や空掘等は、戦国末期頃に改修されたものと思われる。(中略)飯縄・嵐・西條の三城は構築された時期には、多少のずれがあるにせよ一体となって機能して、16世紀末期まで使用されたものと思われる。その用途は、小笠原氏の在地支配の拠点であったと推定される。」とある。

構造と感想
大芝山から北方に延びる稜線上、慈光院南方の標高930m、比高170mの尾根ピークに主郭を構え、主郭から東と北に伸びる支尾根に段郭や堀切が構築され、さらに支尾根間の谷にも小さな段郭が無数に構築されている。
主郭は、四囲に土塁を巡らし、南側背後に高低差の大きい二重堀切、40m程の間隔で更に2条の堀切を入れ厳重に遮断している。そこからは高度を上げて嵐城、西條城へと続く。
東支尾根には堀切を隔て北側に大土塁が付帯する細長い二郭が置かれ、その回りをU字状の数段の帯郭が取り巻く。北東の角部には三条の竪堀が落とされている。帯郭の下に堀切を隔て三郭が続き、二郭同様 帯郭が取り巻いている。さらに2条の堀切を隔て60m程の細長い四郭が続いている。四郭の東から北側下に2段の帯郭が付帯し、その下の尾根筋には数段の小段郭が構えられている。
北支尾根は、小さな堀切を経て小段郭が10段以上連続し、先端部に堀切で区画された二段築成の広い五郭が設けられている。堀切の先にも畝状竪堀と堀切を入れ防御を固めている。
支尾根の郭面は全体的に削平が甘く、また、東尾根の堀切は小規模で浅い。3城の中では、最も広い城域も持ち、縄張りも複雑である。

道 案 内
長野自動車道の塩尻インターを下りて国道20号の西方向へ入る。最初の信号交差点の桟敷交差点で左折し県道63号線に入る。道なりに700m程南西に行った日ノ出町交差点で左折し国道153号に入る。国道153号を道なりに1.8km程走ると塩尻町交差点に至り、その15m先で右折する。南に510m程進むと中央本線を潜る。そのまま640m程南下すれば慈光院前に至る。この寺の南背後の尾根上に飯縄城がある。
寺の左手に山道があり、少し登ると中央線の線路に出る。線路を渡り、谷間の小沢氏墓地横から東尾根に取付き、尾根筋に出たら右手に登れば主郭に辿り着く。

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主郭の土塁             背後の大堀切

 
二郭と大土塁           東方向の堀切と三郭

 
北支尾根の段郭          五郭南側の堀切

 
五郭南方向         五郭の帯郭


 
    先端の畝状竪          登り口