壁田城  No20211-03 (へきたじょう)       

主郭を北より望む 水の手の弁天池

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 中野市壁田
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、水の手、
訪城日 : 平成26年10月26日

歴   史
往古は火置田(ひきだ)と書き、奈良朝の蝦夷経略時代の狼煙台があった所と云われている。
中世は高梨氏の領国防衛の重要拠点であり、これを支援していた越後の上杉氏にとっても飯山城の重要な出城であったが、永禄9年(1566)国人山田飛騨守らが北信濃に侵攻してきた武田信玄に寝返り、信玄より宛行状を受けている。
武田氏が川中島平を手中にすると、飯山城や野尻城を攻撃目標とし信越国境地帯へ進出していくが、壁田城は甲越合戦時における上杉方の飯山口の守備に対する武田方の最前線として対岸の替佐城とともに、重要な拠点となった。
天正10年(1582)武田氏の滅亡後は、城の役目を終え廃城となった。

構造と感想
千曲川が平野部から山間部に入り、大きな蛇行を重ねる。壁田城のある主峯城山は南裾から西裾、北裾を大きく蛇行した千曲川に取り囲まれた要害地形で、その山頂からは東に広がる中野扇状地や千曲川上流の飯山、下流の替佐方面を展望できる要衝地でもある。
構造は、山頂部の南北に長い尾根に堀切で仕切った5つの郭を一列に並べる連郭式である。最高所に主郭を置き、主郭の東側から南側に帯郭を廻らせ、北側は南北に長い削平地が付帯している。主郭の南側に一段低い三段からなる二の郭、北側に細長い三の郭がつづく。三の郭の北側は二重堀切で区画され、東と西側下に帯郭があり、東側の帯郭斜面には畝状竪堀が入れられている。畝状竪堀は主郭東側の帯郭下の斜面にも設けられてる。二の郭の南側も堀切で遮断されている。南の尾根を60m程下ると半円形の弁天池があり、この城の水の手である。主郭の西尾根も二本の堀切で遮断されている。
この城も斜面の草木がひどく、竪堀の確認はできない。また、北側の堀切は、遊歩道設置のために側面の削り込みや土橋の設置などの改変を受けている。
なお、城の直ぐ北側まで林道が来ており、駐車場もあり、楽に訪城でき有難い。

道 案 内
上信越自動車道の信州中野インターを降りた信州中野IC入口交差点を右折し県道29号線に入る。
県道29号線を3.2km程東進した江部交差点で左折し、北に900m程行き右に大きくカーブする。カーブし終わった七瀬交差点で左折し国道292号の北方向に入る。国道292号を3.9km程北上した合同庁舎入口交差点を直進し、270m程北上した十字路を左折する。細い道に入り130m程西進した突き当りで右折し、さらに細い道を190m程北上して左折する。道なりに240m程進んで鋭角に左折し、南に160m程行った左手が林道の入口で、そちらに入る。林道に入り80m程先のY字路で右手に進み、後は道なりに終点まで上ると駐車場となり、南前方が城跡である。

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主郭南側の堀切             二の郭