雁峰城  No20301-03 (がんぽうじょう)       

南尾根の内堀切 主郭の南東方向

城郭の概要                  
別  名 : 草間城、ガンダレ城、小田切城、がんがみね、
所在地 : 佐久市(臼田町)小田切字久保小屋
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、
訪城日 : 平成27年4月18日

歴   史
雁峰城は小田切氏の居城とされる。
文明16年(1484)村上氏が佐久へ侵攻した際、小田切氏は村上氏に降伏して城を明け渡したと云われ、その後は村上氏家臣の草間備前守が城主となり守備したが、大永7年(1527)に伴野氏の援軍要請を受けて武田信虎が佐久に侵攻し、同年2月2日に武田軍が小田切城(雁峰城)を攻め落したと『高白斎記』に記されている。
天文9年(1540)武田信虎の命を受けた板垣駿河守が佐久に侵攻し、医王寺城(臼田城)・入沢城をはじめ数十城を落としたと『妙法寺記』にあり、この時も落城したものと考えられている。
その後、天文17年(1548)上田原合戦で村上義清が武田軍を破り、その麾下小田切駿河守幸長に雁峰城を守らせたと云う(『日本城郭全集5』)。
小田切幸長は村上氏と共に行動し、武田の佐久支配が成ると北信濃へ拠点を移したとされ、弘治3年(1557)城主落合氏とともに葛山城に籠城したが、2月25日武田方の馬場信房らの猛攻を受けている落城する際、室賀兵部の家来・山岸清兵衛に首を討たれたと云う(『武田晴信感状』)。

構造と感想

雁峰城は、陽雲寺の南に張り出してきた尾根の先端ピーク(標高801m、比高62m)に築かれている。北麓に片見川が流れ、その北方には佐久平が広がっている。北西の向かいに向城、西側2.5kmに上小田切城、北西2.5kmに湯原城、北東3.5kmに稲荷山城が所在する。
主郭は頂部に置かれ、南北に長く、南側と東側の南半分に土塁が付帯している。主郭の南から東側一段下に二の郭があり、その南側背後へ続く尾根には三本の堀切が入れられている。主郭から北東へ伸びる支尾根には、数段の段郭を経て三の郭がある。主郭の北西と西にも支尾根が伸び、数段の段郭が配されている。北西と西の支尾根の間には、「久保古屋」と呼ばれる階段状の屋敷地が
設けられている。東から北側斜面には帯状の段郭が連なっている。頂部や支尾根上の郭は広く、山全体を良く削平された郭が覆いつくされており、要害性よりも居住性を重視した古式な縄張りをし
ている。


道 案 内
中部横断道の南佐久インターを降りた佐久南IC入口交差点を左折し国道142号に入る。東に1.6km程行った跡部交差点で右折し国道141号に入る。南に4.7km程行った下小田切交差点で右折し国道121号に入る。国道121号を道なりに南西に1.2km程で中部横断道を潜り、そこから700m程進んだ農協(浅間切原支所)のある切原小入口交差点で右折する。210m程南下した突き当り(陽雲寺前)で右に折れ、直ぐ左に折れて、細い道で山裾へ向かう。その先の山道を登って行くと城跡に至る。山裾に駐車スペースあり。

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主郭東面の土塁            二の郭南方向


二の郭の東側切岸           北斜面の段郭