嵐城  No20215−03 (あらしじょう)       

主郭北方向 主郭南側の堀切

城郭の概要                  
別  名 : 中西条山古城
所在地 : 塩尻市塩尻町上西条赤嵐
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、虎口、
訪城日 : 平成28年11月28日

歴   史
『信府統記』に中西条山古城に関し、「中西条村ヨリ巳午ノ方八町三十間、本城、東西九間五尺、南北十四間、小笠原閑斎ト云フ人持ノ要害アリ」とある。
また、『塩尻町誌』の嵐城の項に「西は下西條字洞、北は中西條字平林、東は中西條字黒嵐、南は上西条字赤嵐、以上 四谷の中山高の山嶺に位し、西南西條城と尾上続きに成って居る。其距離は九町、本城の平(東西九間五尺 南北十四間) 周囲土塀、前後二重堀、現今小祠稲荷石龕あり、今仮に嵐城と命名す。信府統記に中西條山古城とあり。」と記されている。
さらに、嵐城について「 (前略) 最初築城の際は西條城を主とせしは勿論なれども、降って天文年間(1532〜55)に至りては嵐を本城とし、(後略)とあり」時代が降った天文時代には嵐城が本城となっていたことが記されている。城主について、ある古文書にと前書きがあって「嵐城に中島玄蕃これに籠るとある。」、「口碑に中村左近正これに居ると云ふ。」とも記している。

構造と感想
嵐城は、飯縄城の南西方に位置し、尾根続きの標高1034m、比高270mの小ピークに築かれている。南方の標高1196mには西條城がある。これら3城は一体として機能したと考えられている。
嵐城は単郭の砦で、ピークに北と南側に土塁が付帯した主郭を置き、その南側背後 西條城へ通じる尾根続きを30m程の間隔で2条の堀切と土塁で遮断している。その間の平坦地も郭として使ったと推測される。主郭の東面には虎口が開いている。
尾根は主郭のピークで東と北西に分岐し、一段下がって緩やかな傾斜の部分が伸びる。その先端にそれぞれ堡塁が設けられている。その下方は傾斜がきつくなっている。

道 案 内
長野自動車道の塩尻インターを下りて国道20号の西方向へ入る。最初の信号交差点の桟敷交差点で左折し県道63号線に入る。道なりに700m程南西に行った日ノ出町交差点で左折し国道153号に入る。国道153号を道なりに1.8km程走ると塩尻町交差点に至り、その15m先で右折する。南に510m程進むと中央本線を潜る。そのまま640m程南下すれば慈光院前に至る。この寺の南背後の尾根上に飯縄城がある。
寺の左手に山道があり、少し登ると中央線の線路に出る。線路を渡り、谷間の小沢氏墓地横から東尾根に取付き、尾根筋に出たら右手に登れば飯縄城に辿り着く。
嵐城は、飯縄城の南端堀切より尾根伝いに南西方向に登ってゆくと小ピークにある「東の堡塁」に出る。そこから西に向け尾根筋を進むと急斜面を登ったピークに嵐城の主郭がある。
飯縄城より約600m、約25分で到達できる。

TOPへ 戻る

 
東の堡塁              東尾根の竪堀