No24484−07 No24484−08
福持氏城
(じょう) (じょう)

主郭内の北方向

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 伊賀市(大山田村)中馬野字上山564 所在地 :
築城年 : 天正年間(1573〜93) 築城年 :
形  式 : 山城 形  式 :
遺  構 : 土塁、堀切、空堀、虎口、 遺  構 :
訪城日 : 平成25年1月12日 訪城日 : 平成

歴   史

・・・・福持氏城・・・・は、『三国地誌』に「福持九郎宅址は馬野前司が裔孫九郎元乗居守」とあり、明治初期の『地誌取調上申書』には「福持氏宅址は村の西の方字上山にあり四面土壁あり、元亀天正の頃本村郷士福持九郎此所に拠る」とある。
福持氏城は、織田勢力が伊賀に迫るなか、共同の城として古くから築かれていた福岡氏城の上部丘陵に新たに築かれた城砦と考えられている。
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構造と感想
・・・・福持氏城・・・・は、福岡氏城の西側堀切から西に登るとV郭の腰郭に入り、西に向かってV郭、U郭、主郭と連郭式に続く。U郭は主郭の北側半分ほどで南側に下がって三角形状のW郭がある。遺構はやや空堀が埋まっている以外、ほぼ完存状態にあると云える。
主郭の四方を廻る土塁は、東に開く虎口を除く全周を廻り、西背後の南端には堀切を、その北方には大きな空堀を入れ、丘陵続きを厳重に遮断している。西側土塁上部の内側は一段下げられ、南側に塹壕、北側に見張り台を構えている。この部分の遺構が、当城において最も見応えがある。なお、空堀は北西角で東に折れ、北側の中程まで延び、さらに南側にも入れられている。東側の切岸裾には小さな空堀があり、これも北西角で東に折れて帯郭になっている。U郭内は東西の二段に分かれている。一段下がった裾の空堀を介して広いV郭となり、北辺中央に石積(後世のものか?)で区画された半円形の下段を伴っている。U郭、V郭、W郭とも土塁は築かれていない。
・・・・百地丹波守城・・・・は、当初、青雲寺のある西端の郭に館を置き、東隣りに四方土塁囲みの主郭を設けた、伊賀に一般的な館城であったが、織田勢の進出に備えて拡張されたと考えられている。主郭東側の二郭が付加され、郭が連担する連郭式縄張りとなっている。付加された二郭は急拵えか東端の郭の北東隅部に土塁を伴うのみで、南側は自然地形に近い状態である。
当初の館城は、東西を堀切で遮断し、南側は池と空堀を設け、北側は切岸とし、虎口を南側と北側の中央よりやや東側に開けている。主郭の南側の空堀との間には帯郭を、北側の山腹には三つの小郭を構え、防備を固めた造りとなっている。主郭東側の郭は東西40m、南北35mで、40m程の緩斜面を隔て30m四方程の東端の郭で、両郭ともよく削平されている。

道 案 内
・・・・福持氏城・・・・は、名阪国道の中瀬インターを降りて国道163号の東方向に入る。国道163号を9.9km程東進すると県道2号線との川北交差点に至り、同交差点を右折して県道2号線に入る。服部川を渡って大山田中央公民館を右手に確認して県道2号を3.5km程南進した中馬野バス停付近のY字路を右手に入る。90m程先で川を渡り、そこから50m程先のT字路で右折する。90m程登った突き当たりで左折し、100m程行くと集落頂部の民家で、民家の西背後が福岡氏城で、その奥が福持氏城である。集落頂部の民家脇の石垣の間から福岡氏城に登城し、西側の堀切を越えて西に登ると福持氏城の三郭に入る。駐車は集落頂部辺りの余白に許可を頂いて停める。
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背後の堀切


背後の空堀


主郭の虎口


土塁内の石積痕跡


V郭内の区画石垣