湯原城  No20301-02 (ゆはらじょう)       

主郭の土塁 北西端の堀切

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 佐久市(旧臼田町)湯原
築城年 : 永正年間(1504〜21)頃
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、
訪城日 : 平成27年4月18日

歴   史
永正年間(1504〜21)頃、湯原城には湯原氏が拠っおり、更埴市埴生打沢を本拠とした湯原氏が築城したと推測されている。その後、佐久郡南部から相木系依田氏が進出し、湯原城を攻略したとされる。
大永年間(1521〜27)に武田氏が侵攻してくると依田氏はこれに降って在城したが、天正年間(1573〜92)には依田氏に代わって上(植)野佐渡守が在城したと伝わっている。

構造と感想

湯原城は、湯原集落の背後の標高794m、比高57mの小山に築かれており、下には湯原隧道が通っていて、片見川流域と滝川流域を連絡している。この城の北には上の城、南には向城と雁峰城があり、稲荷山城や医王寺城も見通せる所である。
構造は、頂部に低土塁に囲繞された楕円形の主郭を置き、南下には腰郭があり、そこから南へ延びる尾根筋には堀切と箱堀を入れ、二の郭を配している。二の郭の北を除く斜面には巾の狭い腰郭が数段設けられている。
主郭の北西から南東の下に腰郭が廻り、さらに北西から北の下に腰郭がもう一段設けられている。下段の腰郭の北西下に堀切、上段の腰郭の東側には三本の堀切を入れ、城域の区画を図っている。上段の腰郭の北西面には、土塁を築き、中央に虎口を開いている。
在地土豪の領地支配の砦で、規模も小さく、堀切などの風化も進んでおり、迫力や鋭さに欠ける。また、箱堀より南側はブッシュが酷く観察できない。


道 案 内
中部横断道の南佐久インターを降りた佐久南IC入口交差点を左折し国道142号に入る。東に1.6km程行った跡部交差点で右折し国道141号に入る。南に4.7km程行った下小田切交差点で右折し国道121号に入る。国道121号を道なりに南西に1.2km程で中部横断道を潜り、そこから700m程進んだ農協(浅間切原支所)のある切原小入口交差点で右折する。人家中を通り890m程行った変則交差点で右折し、直ぐに斜め左手に左折して170m程で湯原隧道入口に至る。入口左手に城址碑があり、その裏手に登山道が伸びている。尾根筋の堀切に出て左手に登ると主郭がある。

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               腰郭の虎口


下段の腰郭               南尾根の堀切