No24484−05 No24484−06
山下氏城 福岡氏城
(やましたしじょう) (ふくおかしじょう)

主郭上段の武者隠しと土塁 南西隅の土塁

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 伊賀市(大山田村)中馬野字上山505 所在地 : 伊賀市(大山田村)中馬野字上山564
築城年 : 築城年 : 室町期
形  式 : 山城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、空堀、武者隠し、虎口、 遺  構 : 土塁、堀切、
訪城日 : 平成25年1月12日 訪城日 : 平成25年1月12日

歴   史

・・・・山下氏城・・・・は、『三国地誌』に「山下氏堡・・・中馬野村・・・」とあり、明治初期の『地誌取調上申書』には「中馬野字上山にあり東西南北各十五間四方高五尺余の土壁を存す、元亀天正の頃郷士山下某此所に拠る」とある。
・・・・福岡氏城・・・・は、『三国地誌』に「福岡氏堡・・・中馬野村・・・」とあり、明治初期の『地誌取調上申書』には「福岡氏堡址字上山にあり東西五間、南北十五間、方形で前面に土壁僅かにあり、現今山林となる、天正の頃本村郷士福岡某此所に拠る」とある。城の南下には子孫宅があり、当時の居館跡とされる。


構造と感想
・・・・山下氏城・・・・は、福持氏城の主郭頂部空堀から北側の谷を越えると山下氏城に至る。直接登城する場合は、福持氏城の下方に隣接する福岡氏城の北側民家裏の谷部から登ると楽である。
構造は、最上部に27m×30mの主郭を置き、三方に土塁が廻る。北側の土塁は低く、西側と南側は切り込み式で、西側の土塁は内側に南北に小土塁で区画した武者隠しの小段を設ける程に大規模なものである。さらに外側に浅いが空堀を入れている。北側と南側の外側にも帯郭状の平地があり、空堀の痕跡と見られている。主郭前部となる東側は、浅い空堀と小土塁を隔て方形の削平地があり、北側に下がってもう一郭がある。さらに、東側下方に二段の小段郭が続き、その裾には20m×70mの半円形の削平地があり、平素の城主館があったとされる。
・・・・福岡氏城・・・・は、単郭方形の伊賀に一般的な城砦である。背後の丘陵続きを堀切で遮断し、手前の山腹を切り込んで、南側と北側の中程までと西側の三方に削り残しの土塁を廻らしている。その東側下方一段下がって子孫の方の居宅が建っている。この城の土塁の巨大さには圧倒される。

道 案 内
・・・・山下氏城・・・・は、名阪国道の中瀬インターを降りて国道163号の東方向に入る。国道163号を9.9km程東進すると県道2号線との川北交差点に至り、同交差点を右折して県道2号線に入る。服部川を渡って大山田中央公民館を右手に確認して県道2号を3.5km程南進した中馬野バス停付近のY字路を右手に入る。90m程先で川を渡り、そこから50m程先のT字路で右折する。90m程登った突き当たりで左折し、100m程行くと集落頂部の民家で、民家の西背後が福岡氏城と福持氏城である。福持氏城の70m北側に山下氏城が所在している。福岡氏城の北側の民家裏の谷部から登る。駐車は集落頂部辺りの余白に許可を頂いて停める。
・・・・福岡氏城・・・・は、集落頂部の民家脇の石垣の間から福岡氏城に登城する。福岡氏城の西側堀切を越えて西に登ると福持氏城の三郭に入り、西に二郭、主郭と連担している。

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主郭背後の空堀


主郭前部の空堀と小土塁


主郭前部の削平地と南側の切岸

土塁の北西隅


背後の堀切


上段の石垣間から登る