宮崎城は、越後との国境近く、東に宮崎・境海岸、西に黒部平野を見下す位置にある標高248.8mの城山山頂に築かれている。山下に旧北陸道が通り、越後との国境となる境川の左岸には関所が設けられた要衝の地であった。
構造は、東端の小高くなった土壇上が本丸で、一段下がって北側を除き帯郭状の平地が取り巻いている。その西側に土橋状の通路を介して二の丸が、さらに細長い小郭を経て三の丸が配されている。本丸土壇の側面や本丸と二の丸間の土橋状通路の側面には石垣が積まれ、三の丸の南側には石塁が残存している。また、三の丸には、北陸宮の御墳墓と宮崎太郎長康の供養塔が建てられている。二の丸の北東斜面に設けられた七曲がりの登城路を下ると堀切が残るようである。
本丸の南側は、本来は堀切であったようだが、太平洋戦争時に旧陸軍が土橋を架け、その南にあった郭も旧陸軍により激しい改変が加えられ、現状は公園になり旧状を失っている。しかし、公園の南端には堀切が残ることから城域内であったと思われている。
このように一部改変を受けているが、戦国期の縄張りの基本部分は残存しており、また、城跡からの眺望は素晴らしく、訪城する甲斐のある城跡である。
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