蟻塚城  No20209−02 (ありづかじょう)       

主郭東方向 主郭東側の土塁

城郭の概要                  
別  名 : 中の城
所在地 : 伊那市美篶笠原(御射山神社) 
築城年 : 室町初期
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、
訪城日 : 平成30年3月17日

歴   史
蟻塚城の詳細は定かでないが、豪族笠原氏の居城でないかと考えられている。
笠原氏は、諏訪神社の神官の一族である諏訪氏の分家の分家・・・・・がこの地に住し、地名の「笠原」を名乗ったと云われる。『吾妻鏡』に笠原平吾頼直が平氏方に付き、治承4年(1180)木曽義仲配下の村山義直・栗田範覺の軍勢と信濃国市原で戦って敗れ、越後国に逃れたとある。しかし、頼直は高井郡の笠原(中野市)の人で、戦いもそちらであったという説もあり、確定されていない。また、応永7年(1400)の大塔合戦には笠原中務丞の名が、『御符札之古書』には笠原美濃守の名が残されており、いずれにしても、鎌倉時代から室町戦国時代に笠原氏がこの地を治めていたことは確かとされる。

構造と感想
蟻塚城は、東の山塊から西へ緩やかに伸びた丘陵の標高840m、比高55mに築かれている。別名を「中の城」と云うのは、前方に天神山城、後方の山頂に守屋山城があることによる。
構造は、ピークに主郭を置き、周囲を東から西に低くなる大規模な土塁で囲み、西下に段郭を伴っている。この西側に堀切を隔て二郭が配され、南と北側に土塁が残る。郭内には御射山神社の社殿が建っている。さらに西下へ段郭、堀切、四・五段の段郭が続き、その下端を横堀で処理している。二郭背後の堀切からは、二郭と段郭の北側を下る竪堀が設けられている。また、主郭背後の堀切からも平行に下る竪堀があり、北面は二条の竪堀で守られている。
主郭背後の東側は高低差の大きい二条の堀切で遮断されている。
主郭から二郭の部分は城砦らしい堅固な造りで、遺構の残りも良い。また、神社の北側まで車で行け、手軽に楽しめる城跡である。

道 案 内
中央道の伊那インターを下りて県道87号線の南東方向に入る。そのまま南東方向に2.8km程行くと国道153号との水神橋西交差点に至る。その交差点を右折し1.1km程南西方向に走り入舟交差点で左折し国道361号に入ると直ぐに大橋を渡る。引き続き国道361号を東に6.6km程進み笠原入口交差点で左折し県道207号線に入る。370m程走り坂を登り切った右手に「吉祥寺入口」の案内塔がある。その交差点で右折し、530m程山道を「御射山神社」を目指して進む。神社に駐車可。

TOPへ 戻る



 
主郭背後の堀切       主郭北側の竪堀

 
二郭北側の竪堀       二郭西方向

 
主郭西方向         主郭よりの眺望

 
二郭の西側切岸            段郭