龍ヶ崎城  No20382−01 (りゅうがさきじょう)       

主郭南方向 背後の二重堀切

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 伊那郡辰野町伊那富、宮所
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、畝状竪堀、土橋、虎口、
訪城日 : 平成30年3月17日

歴   史
築城年代は定かではないが、『守矢満実書留』に寛正5年(1464)の条の「上伊那宮所龍ヶ崎之城」の記載が見られ、これが初見とされる。文明19年(1487)には高遠の 諏訪継宗の持ち城となっていた。
天文14年(1545)甲斐の武田信玄が伊那口に侵攻し、福与城の藤沢頼親を攻めた時、信濃守護で林城城主の小笠原長時が援軍を出し、龍ヶ崎城に布陣して荒神山に陣した武田軍の背後をついた。
しかし、信玄は小山田信有(信茂の父)らを派遣して龍ヶ崎城を攻撃。一月程の攻防の末 板垣信方によって龍ケ崎城は落とされ、小笠原長時は林城に退去し、これによって福与城の兵の士気も低下し続くように落城した。

構造と感想
池上寺に向け穴倉山からから南東に細長く伸びてきた尾根上の標高865m、比高125mに築かれている。
池上寺の左脇に登城口があり、ここから2、3分登ると宮所公園があり、正面の階段を登り、観音堂の左手の登山道を15分程登ると城域に至る。
ピークに主郭を置き、背後は落差の大きい堀切を入れ、20m程奥にも堀切を設け二重堀切としている。その奥にも堀切や竪堀を入れている。
主郭は四囲に土塁を廻らし、南側に虎口を開き、西面は畝状竪堀群を落とし防御を固めている。南下には堀切を挟んで東側に土壇を伴った小郭を配し、東から南下に腰郭を付帯させている。そこから下方にも二本の堀切や小規模な郭が見られる。
東西10m、南北20m程の主郭以外は本当に小規模な郭ばかりで、戦略的な要地にありながら大きく地形の制約を受けた城である。

道 案 内
中央自動車道の伊北インターを下りて、国道153号を4.8km程北上した小横川入口交差点で左折し、100m程先のデイサービスセンター横の路側に駐車し、10m先の山道を登って行く。

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背後の堀切             背後堀切の竪堀

 
主郭西面の畝状竪堀         主郭南下の副郭