西宮城  No29342−01 (にしのみやじょう)       

巨大な南側の空堀 主郭の東方向

城郭の概要                  
別  名 : 嶋城
所在地 : 生駒郡平群町西宮1丁目(平群中央公園)
築城年 : 室町時代
形  式 : 丘城
遺  構 : 空堀、土塁、虎口、
訪城日 : 平成24年5月26日

歴   史
西宮城は、室町時代に嶋氏によって築かれたと考えられており、嶋城とも云われる。城は、嶋氏の平時の居城で、詰城として椿井城が築かれたとも云われる。
嶋氏は、平群谷に勢力を持った一乗院方の国民で、至徳元年(元中元、1384)から名が記録に現われ、長録4年(1460)畠山義就方の軍勢が嶋城へ押し寄せ、筒井順永の後詰により撃退したとの記録が嶋城の初見とされ、その後も筒井氏傘下の西脇衆として活躍したようである。
永禄10年(1567)6月嶋城内の内紛で一族九人が殺されたが、その嶋城は西宮城か椿井城か判然としていない。嶋氏の一族で近江佐和山城主石田三成の家老となって有名な嶋左近は、筒井城や郡山城主であった筒井順慶の三家老の一人であった。
 
空堀外への虎口           堀切の痕跡

構造と感想
西宮城は、平群谷に西から延びてきた丘陵の先端に位置し、現在では平群中央公園の南東隅で冒険広場となっている。北側の谷を挟んで下垣内城が隣接しており、両城は連携し運用されたと思われる。この城も公園に取り込まれ、屋根付きベンチの置かれた休憩所となっていている。
西宮城の郭面は広場にされ、遊具が設置され、堀切も埋められ、見る影もない。しかし、広場の南東隅のフェンスを越えて斜面を下りると巨大な空堀が残っている。さらに平群神社の裏付近の土塁に虎口が開き、その外に虎口受けの小郭もある。また、広場中央付近の斜面を見ると窪みがあり、堀切の痕跡と思われる。
公園にある案内板では、東側が主郭で西側が副郭で、時計台あたりに土橋が架かる堀切があったようだで、微かに残る痕跡と一致いているようである。

道 案 内
国道168号を南下して平群町に入り吉新交差点から270m程南下した森脇大橋東詰交差点を右折する。西に210m程行った団地内のT字路を左折し、南に道なりに450m程行った左手が平群中央公園で無料駐車場が完備されている。

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