宍人城 No26214−03 | (ししうどじょう) |
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西郭の土塁・空堀の横矢折れ | 主郭北の堀切 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : 宍人館 |
所在地 : 南丹市園部町宍人 |
築城年 : |
形 式 : 平山城(館城) |
遺 構 : 土塁、横堀、土橋、堀切、虎口、櫓台、 |
訪城日 : 平成21年9月27日 |
◆ 歴 史 |
宍人城の築城年代は定かでないが、小畠越前守によって築かれたと云われる。 小畠氏は、後三年の役(1083〜87)で源義家に滅ぼされた出羽国清原武衡の後裔と伝わり、応仁の乱後の長享2年(1488)には丹波守護細川氏の被官となっている。 室町時代末期(1501年-57)には細川氏が内抗により衰退し、黒田城と宍人城が争い、その兵火により九品寺が焼失しているが、合戦の詳細は不明である。 天正3年(1575)6月織田信長の命を受け明智光秀が丹波へ侵攻すると、小畠氏はいち早く信長に与して案内役を務め、所領を安堵されている。その後も宇津城や八木城攻めに参陣している。 元和5年(1619)園部に入封した小出吉親は、宍人城に逗留して園部城を築き、完成により移っていった。小畠氏は、園部城蓮池の東台地(家老屋敷)の一部と家禄300石を与えら藩士に迎えられた。 |
◆ 構造と感想 |
『京都府中世城館跡調査報告書』にある「宍人館」を一般的に宍人城と呼んでいる。 |
◆ 道 案 内 | ![]() 主郭の虎口 |
京都縦貫自動車道を園部インタで下り、右折して府道19号線に入る。南西方向に2.1km程先で園部河原町交差点で国道9号を横切り、国道477号線に入る。560m程先の横田交差点で直進し府道54線へ入る。道なりに2km程西進した船坂交差点で左折し、府道453号に入る。1.7km程南下して本梅川を渡り360m程先の十字路を右折し、180m程先の川を渡って直ぐを左折する。川沿いを410m程進み、左に緩やかにカーブする中程の右手にグランドがあり、奥に宍人公民館がある。公民館の背後が城跡で、北側人家との間から登ると直ぐに城跡である。 |
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