宍人城  No26214−03 (ししうどじょう)       

西郭の土塁・空堀の横矢折れ 主郭北の堀切

城郭の概要                  
別  名 : 宍人館
所在地 : 南丹市園部町宍人
築城年 :
形  式 : 平山城(館城)
遺  構 : 土塁、横堀、土橋、堀切、虎口、櫓台、
訪城日 : 平成21年9月27日

歴   史
宍人城の築城年代は定かでないが、小畠越前守によって築かれたと云われる。
小畠氏は、後三年の役(1083〜87)で源義家に滅ぼされた出羽国清原武衡の後裔と伝わり、応仁の乱後の長享2年(1488)には丹波守護細川氏の被官となっている。
室町時代末期(1501年-57)には細川氏が内抗により衰退し、黒田城と宍人城が争い、その兵火により九品寺が焼失しているが、合戦の詳細は不明である。
天正3年(1575)6月織田信長の命を受け明智光秀が丹波へ侵攻すると、小畠氏はいち早く信長に与して案内役を務め、所領を安堵されている。その後も宇津城や八木城攻めに参陣している。
元和5年(1619)園部に入封した小出吉親は、宍人城に逗留して園部城を築き、完成により移っていった。小畠氏は、園部城蓮池の東台地(家老屋敷)の一部と家禄300石を与えら藩士に迎えられた。

構造と感想

『京都府中世城館跡調査報告書』にある「宍人館」を一般的に宍人城と呼んでいる。
宍人城は、本梅川西岸に位置する宍人地区公民館西側の台地の東端に築かれた館城である。公民館から山道を少し登った左右に、ほぼ正方形に区画された数個の館跡が残存している。
台地上は谷により南北分かれており、北側東端に一郭、南側に三郭が配されている。主郭は南側東端に置き、東と南側が急崖で、北と西に空堀を入れ、郭の四囲を土塁で囲繞し、土塁の南東端に櫓台を構え、西面に武者溜りを伴った虎口を開いている。
主郭西側の二郭は、西の郭は残存状況が悪く不明瞭であるが、東の郭は周囲に土塁が巡り、西と北面には明瞭に屈折した横矢掛かりが見られる。
谷を挟んだ北側にも土塁と空堀に囲繞されたやや南北に長い方形の郭があり、南を除く三方に虎口が開き、南西隅が南へ張り出して櫓台となり横矢が掛かる。
一族や家臣が集住した副郭構造の館跡で、大きな規模である。


道 案 内
主郭の虎口
京都縦貫自動車道を園部インタで下り、右折して府道19号線に入る。南西方向に2.1km程先で園部河原町交差点で国道9号を横切り、国道477号線に入る。560m程先の横田交差点で直進し府道54線へ入る。道なりに2km程西進した船坂交差点で左折し、府道453号に入る。1.7km程南下して本梅川を渡り360m程先の十字路を右折し、180m程先の川を渡って直ぐを左折する。川沿いを410m程進み、左に緩やかにカーブする中程の右手にグランドがあり、奥に宍人公民館がある。公民館の背後が城跡で、北側人家との間から登ると直ぐに城跡である。

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