黒田城  No26214−01 (くろだじょう)       

堀切・土橋 主郭への上り土塁

城郭の概要                  
 (東郭)
別  名 : 木崎山城、片山城
所在地 : 南丹市園部町黒田
築城年 : 天暦元年(947)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、土橋、堀切、堅堀、虎口、
訪城日 : 平成21年9月27日 

歴   史
天暦元年(947)に森筑後守宗政が築城し、片山城とも木崎山城とも呼ばれたが、城歴等の詳細は不明である。
天文年間、丹波に侵攻を繰り返す三好氏、内藤氏方であった森越前守高之が、黒井城(氷上郡の赤井氏)・籾井城(多紀郡の籾井氏)の戦いで戦功を顕したと『有名姓氏録』に記されている。
しかし、織田信長の命による明智光秀の丹波攻めが始まると、八上城主・波多野氏とともに反織田方として、織田方の宍人城主・小畠氏と再三小競合いを演じたが、天正6年(1578)明智光秀に攻められ落城、滅亡したとされる。

構造と感想
黒田城は、園部川北岸の標高261mの山の頂に築かれており、北側には須知に抜ける観音峠道が、南側には笹山街道が通る交通の要衝に所在している。
構造は、最高所に主郭を置き、北西尾根続きとなる背後に北郭、Y字状に派生する東尾根に東郭、南尾根に南郭を配した放射状をしている。さらに、南郭から南東下方に下ると出郭が構えられている。
登山道を登って来ると最初に出郭に至り、出郭は小さな段郭を重ねた構造をしている。出郭の北西奥から急斜面の尾根筋を上ると南郭で西から南側に二段築成の帯郭が付帯している。南郭から北の堀切を越え、上り土塁を登り切ると主郭西面に開く虎口に到達する。
主郭は頂部にあり、北郭との間を堀切で遮断し、その北側に北郭を構えている。北郭の南面は堀切から掻き上げた土で土塁状に盛り上がっているが、削平が甘く自然地形を残している。
主郭の東下にあるのが東郭で、主郭の南東下を経て南郭と繋がっている。東郭は三方を土塁に囲繞され、西側の主郭切岸裾に二重の空堀が入れられ厳重に区画されている。この郭が城内最大で見晴らしも最もよい。

道 案 内
京都縦貫自動車道を園部インタで下り、右折して府道19号線に入る。南西方向に2.1km程先で園部河原町交差点で国道9号を横切り、国道477号線に入る。560m程先で府道54線へと直進し、400m程行き園部川を渡り、左に大きくカーブして直ぐの十字路で農道へと右折する。農道を北に200m行き、東に右折、その180m先に登城口の案内表示がある。1台なら登城口に駐車できる。

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