安宅勝山城  No30401−02 (あたぎかつやまじょう)       

北郭の南西方向 東尾根の五重堀切

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 西牟婁(にしむろ)郡白浜町塩野
築城年 : 享禄年間(1528〜32)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、竪堀、堀切、虎口、石積、雁木、
訪城日 : 平成29年5月15日

歴   史
安宅本城の南方の要として築かれた支城である。
大永6年(1526)安宅12代領主故大炊頭実俊が没したが、子の安定丸が幼かったことから、実俊の弟定俊が安定丸が15歳になるまで、家督を預かることになった。
しかし、享禄3年(1530)安定丸が15歳になっても家督は返されず、両者の跡目争に発展し、安定丸は八幡山城に定俊を包囲して自害させた。その後は、安宅勝山城に生き残った定俊の嫡男・安次丸が抵抗を続けたため、安宅氏は次第に勢力を消耗し衰えていった。

構造と感想

安宅勝山城は、安宅本城の南に聳える標高212.4mの山頂に築かれている。
山頂に方形の郭を南北に二つ並べ、北が高く、南が5、6m低い。北郭は南側の西半分を除き四周に土塁が廻る。南郭は西側中央に虎口が開き、北側を除く三方に土塁が廻る。南郭の土塁内側には石積や雁木のような石段が残存している。
山頂の主郭から南、東、西の三方に伸びた尾根には堀切を入れ遮断している。東尾根は石積で側面を固めた5条の堀切が連なっており、防備の厳重さに圧倒される。主郭の東側には帯郭と武者隠し(塹壕)が付帯し、帯郭の外面には石積が施されている。北郭の西側に三段の腰郭とその下方に堀切を設けている。南郭の西虎口を下ると帯郭で、南端に土塁、その下方は南尾根の三重堀切である。北端には竪堀を落としている。


道 案 内

梅林への入口
紀勢道の日置川インターを降りて最初の信号交差点で右折し、県道37号線の南西方向に入る。県道37号を680m南下すると国道42号との(日置大橋)交差点に至る。この交差点を左折して国道42号に入り180m程先 一つ目の日置大橋を渡った「塩野」への小さな案内板がある十字路で右折し、国道42号に並行する下道に入る。下道で日置川を渡り終えた所で左折して820m程川沿いを北上すると右手に「勝山城跡」の小さな案内板があるT字路で右折する。集落内を120m程入った左手に神社があり、そこに駐車させて頂く。
神社の先で南へ、その先で東へ進むとまた案内板がある。ここを南へ進み写真の梅林への入口から登る。梅林の最上段から3、4段下の梅林を左方向に進み、尾根筋に出て右に登って行くと城跡に至る。

: 城跡    : 登り口 TOPへ 戻る

 
日置川と安宅を望む      南郭土塁の石積、雁木

 
西側の帯郭        西側帯郭端部の竪堀

 
東側の帯郭           東側帯郭の石積

 
西尾根最下段の段郭        南尾根の堀切