安宅本城  No30401−04 (あたぎほんじょう)       

本城跡 石垣

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 西牟婁(にしむろ)郡白浜町(日置川町)安宅
築城年 : 享禄年間(1528〜32)
形  式 : 平城
遺  構 : 石垣、堀跡、井戸
訪城日 : 平成28年5月15日

歴   史
享禄年間(1528〜32)安宅河内守頼春が築城した安宅氏の本城である。
安宅氏は、承久の乱(1221)後に阿波・河内・紀伊の守護となった小笠原長清を祖とし、紀伊水道を抑える熊野水軍の一時代を築いた豪族である。代々阿波に居住していたが、9代頼春の時に「安宅」を称し、紀州に移り住んだとされる。また、4代頼勝の時に足利尊氏の命を受け淡路国沼島の海賊を退治するため淡路島の由良に移住したと伝わる。
享禄3年(1530)安宅12代領主故大炊頭実俊の相続を子の安定丸と実俊の弟定俊が争い、一族が敵味方に分かれて戦い、この内乱で安宅氏の勢力は著しく衰えた。

構造と感想
安宅本城は、日置川と安宅川の合流点の上流側に築かれた平城で、日置川に架かる安宅橋を東に渡った正面に「城の内」、その北側こ「小門」、南側に「大門」の小字名が残り、この付近に本城があったと推定されてきた。
近年の発掘調査で、北限を画する堀跡が検出され、安宅小学校の北西隣に東西約90m、南北80mの堀に囲繞された単郭方形の城館であったことが、明らかになりつつある。現況は、水田や畑、宅地になっている。従来、安宅本城の石垣と伝えられていた民家の石垣は、推定の城館と位置、方向とも整合しないように思われる。
本城南側の集落一帯が武家屋敷で、その南端に港があったと云われたいる。
こうした安宅氏の本拠地を防備するため、周辺には多数の城砦や関を設けており、これらは多くが現在も良好な遺構を残している。

道 案 内
紀勢道の日置川インターを降りて最初の信号交差点で左折し、県道37号線の北東方向に入る。県道37号を8000m程北上すると日置川に架かる「安宅橋」に至る。安宅橋を渡った東詰め正面に案内板があり、この東下方が城跡である。

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