安威砦  No27211−01 (あいとりで)       

西側の横堀 主郭南側の大堀切

城郭の概要                  
城址碑
別  名 :
所在地 : 茨木市安威四丁目8
築城年 : 大永年間(1521-28)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、横堀、竪堀、
訪城日 : 平成21年12月27日

歴   史
主郭の土塁
安威砦についての史料は少なく不明なことが多いが、戦国時代には安威弥四郎が領主として安威を治めており、集落南部の安威城の詰め城として築かれたと考えられている。
『足利季世記』大永6年(1526)桂川合戦の条に、山崎城が落ち、摂津上郡の芥川城、茨木城、、安威城、、福井城、三宅城等も開城し引き渡されたと記されている。
廃城時期は、安威弥四郎の子で秀吉の家臣でとなった安威五左衛門了佐が、中川氏の移封後に秀吉の直轄領になった茨木城の城代になった天正14年(1586)と考えられ、その後、豊後竹田に移封された中川氏の家臣となった安威氏の系譜によると、了佐の子の勝宗は安威城主だったと記載があるようである。

構造と感想
安威砦は、東西にのびる花園山丘陵の東端にあたる標高89mの通称「天神山」とも「城の森」とも呼ばれる丘陵の張出し先端部に築かれている。現在、隣接して茨木市安威配水場が置かれており、排水場の入口前に説明板と城址碑が建っている。説明板に向かって右手に薮へ入る道があり、少し入ると城域である。東西約50m、南北約100mに亘って三つの郭が南から北に連旦し、堀切で区画され、郭や土塁、竪堀、横堀などの遺構がよく残存している。
中央に土塁に囲繞された20m四方の主郭を置き、南北両側を堀切で遮断し、南郭と北郭が配されている。南郭は円形に近い約15m四方で東側に竪堀が3本落ち、西から南側に空堀をめぐらし、空堀は主郭の西側まで伸び、竪堀で北側の空堀と分断されている。北郭は長方形で北端が地形の制約から細くなっている。南面と西面に土塁がめぐり、中央に土壇状の土塁が築かれている。東から北側には腰郭、西側に横堀がめぐっている。
城跡は藪状態であるが、コンパクトな遺構が保存状態も良く残っており、十分楽しめる城跡である。

道 案 内
名高速茨木インターを下りて国道171号に入り京都方面に800m程行った西川原西交差点で左折し、府道46号線に入る。北に2.8km程行った安威バス停を過ぎてUターンするように左折し、南に100m程行った十字路で右折すると急坂道となる。急坂を上り切った所が茨木市配水場である。この正門横に説明板と城址碑があり、説明板の右手の小道を入れば城跡である。付近に駐車可。

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