芥川山城 No27207−01 | (あくたがわさんじょう) |
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主郭と城址碑 | 大手道脇の石垣 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : 芥川城、三好山城、原城、 |
所在地 : 高槻市原(三好山) |
築城年 : 永正12年 |
形 式 : 山城 |
遺 構 : 土塁、竪土塁、堀切、虎口、石垣、井戸、 |
訪城日 : 平成21年12月27日 |
◆ 歴 史 |
芥川山城は、永正12年(1515)室町幕府の管領細川高国が西国勢と北摂武士団の押さえとして配下の土豪・能勢因幡守頼則に築かせた城砦である。 |
◆ 構造と感想 |
芥川山城は、高槻の西北方、東を除く三方を摂津峡となる芥川で囲まれた標高182.3mの三好山山頂に築かれている。 構造は、西に最高所を持つ東西の稜線と、そこから南に分かれる枝尾根上に郭を連ね、西から東へ主郭部、出丸部、東郭部と三つのブロックに分かれ、その規模は東西400m×南北450mに達する大城郭である。 主郭部と出丸の間には深い谷があり、この谷筋を南麓から大手道が上って鞍部に達している。この鞍部は堀切の機能を果たしている。鞍部で左手・西に進めば主郭部へ、右手・東に進めば出丸の南端を通り東郭部へ通じている。 主郭は、南北に長い方形で西を除く三方に腰郭が付帯し、「城山城」の石碑と三好長慶を祀った祠がある。主郭の南下には田の丸・南郭、主郭の北西下には西郭がある。 西郭と主郭部は土橋が架かる堀切で区画し、主郭側には曲尺折れの土塁を付け複雑な虎口としている。北西端も堀切で遮断している。田の丸は、南側に腰郭を伴い、主郭側に二重堀切を設け、堀切の両サイドを二重の竪堀として落している。さらに南下に南郭があり、主郭側に高さ2m程の高土塁を掘り残し堀切としている。 大手道が鞍部に達する少し手前の左手に石垣が残っている。大手道の右手は出丸で、上方より大手道に横矢が掛かる位置である。出丸の南と西側に腰曲輪が付き、南斜面に石積が残るようである。さらに南へ尾根を降ると大規模な堀切があり、その先に三段の郭が続くとされる。しかし、出丸中央を東西に獣除けの柵が設置され出丸部の下方に行くことは出来ない。 出丸の東にあるのが東郭部で、出丸側から大きな堀切に架かる土橋を渡ると、左手の高所に土塁囲みで墓地となっている郭があり、当城で土塁囲みの郭はこれだけで、屋敷跡と考えられている。この郭の城道を隔てた南斜面には明瞭な竪土塁が一条伸びている。土塁囲みの郭の東側の郭には二つの池が見られる。 この城は、畿内を支配した三好長慶が修築し、居城とした城だけあって、その広大な規模と複雑な縄張りに見応えのある城跡である。 |
◆ 道 案 内 |
名高速茨木インターを下りて国道171号に入り京都方面に4.3km程行った今城町交差点で左折し、府道6号線に入る。北に850m程行き清福寺交差点で右折し、さらに府道6号線を道なりに540m程行った殿町交差点で左折する。引き続き府道6号線を北に1.6km程行った高槻服部交差点で左折する。市道を西に770m程行った信号交差点で右折し、95m先の突き当たりを左折する。30m先のY字路を右の細い道に進み310m程行くと老人ホームの所のY字路に至る。Y字路を左手に進み210m行ったY字路の右手へ登る林道が登り口である。「三好山40分」の標識がある。1台分の駐車余白がある。 |
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出丸部と東郭部間の土橋 土塁郭の虎口 | |||
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東郭部の竪土塁 井戸跡 |