岡山城  No33101−02 (おかやまじょう)       

天守南より 本丸の本段南隅の三階櫓の石垣

城郭の概要                  
別  名 : 烏城(うじょう)、石山城、
所在地 : 岡山市北区丸の内二丁目
築城年 : 正平年間(1346〜70)
形  式 : 平城
遺  構 : 本丸跡、月見櫓、西手櫓、櫓台・門跡、石垣、内堀、
訪城日 : 平成22年3月22日

歴   史
岡山城前身の石山城は、南北朝時代の正平年間(1346〜70)に名和長年の一族・上神高直が小丘陵の石山を中心に築城した城砦である。その後の150年間程の城主は不明であるが、戦国時代の天文初年(1532)には金光備前が居城し、備前国西半を押領した金川城主の松田氏に従っていた。また、永禄年間(1558〜70)には金光備前の子・宗高が居城していたが、備前国上道郡の亀山城(沼城)を居城とし、備前の豪族を次々と策略や暗殺により滅ぼして、主家浦上氏を圧迫するまでに勢力を伸張した宇喜多直家により、元亀元年(1570)宗高は謀殺され、この城は直家のものとなった。直家は、天正元年(1573)この城に大改修を施し居城とした。
天正3年(1575)直家は、浦上宗景の兄・政宗の孫をおしたて宗景を播磨へ放逐する下克上を行い、やがて備前、美作さらに播磨、備中の一部にまで勢力を伸ばしていった。その状況の中、織田信長の命を受けた羽柴秀吉軍が播磨から備前へと迫ると、天正7年(1579)直家は毛利氏と手を切り信長に臣従、以後、美作・備前各地を転戦して毛利氏と合戦を繰り返すが、天正9年(1581)病を得て没した。
秀吉は天下取りの過程で毛利氏への防波堤として宇喜多家を重視し、また、家督を継いだ秀家の母が秀吉の側室となったため、秀吉は幼い秀家を一族同様に扱い寵愛した。そして、秀吉の天下統一が一段落した天正18年(1590)秀吉の命を受けて秀家は石山城の直ぐ東の岡山に築城を開始し、慶長2年(1597)岡山に本丸を配し、三層六階の天守を構え、石山城の本丸を二の丸内郭とするなど、宇喜多家57万4千石に相応しい大城郭である岡山城を完成させた。
しかし、慶長5年(1600)秀家は関ヶ原の戦いに西軍として出陣し敗れ、八丈島へ流配となってしまった。そのあとには小早川秀秋が筑前・名島から移ってきたが、2年余りで急死、後継者がいなかったため、小早川家は断絶となった。
慶長8年(1603)姫路藩主池田輝政の五男・忠継が28万石で岡山藩主となったが、忠継はわずか五歳であり、兄の利隆が藩政を代行し、現存する西の丸西手櫓などの作事を行ったとされる。慶長18年(1613)父・輝政の死により遺領の一部10万石が与えられ38万石の大名となったが、慶長20年(1615)わずか17歳で病没し、忠継のあとは同母弟の忠雄が継ぎ、輝澄に播磨国山崎3万8千石、政綱に播磨国赤穂3万5千石、輝興に播磨国佐用2万5千石を分与し、岡山藩は31万5千石となった。忠雄は、寛永9年(1632)に没するまでの18年間に城郭の大きな改造を行っている。忠雄のあとは嫡男・光仲が継いだが、幼小であることを理由に因幡国鳥取へ転封となり、代わって因幡国鳥取から池田家宗家である池田光政が入封し、以後十代続き明治を迎えている。

構造と感想
岡山城は、岡山県庁の直ぐ北隣りに位置する近世城郭で、本丸跡が烏城公園として残っている。
城の構造は、三段構えの本丸の東側に岡山市街地中央を流下する旭川を付替えて天然の濠とし、西側と南側を堀で区画している。本丸の南から西側には、二区画よりなる二の丸内郭を設け、この外側に内堀を置いて南に二の丸を配し、二の丸の南と西側も堀で区画し、二の丸の南から西・北西方向を内部が堀で区切られた逆「コ」の字状の三の丸が固め、その外側を外堀が囲繞する梯郭式の城郭形式をしている。
本丸の本段北端に不等辺五角形の天守台の上に、二重の大入母屋の上に各層の入母屋屋根を交互に重ねる形をした三重六階の望楼型の天守が聳えていたが、惜しくも昭和20年に戦災によって焼失し、現在は昭和41年に鉄筋コンクリート造で外観復元された、黒漆塗の下見板張りを模した勇壮な天守が建っている。この天守は、織田信長が築いた安土城を模したものと云われ、貴重な存在とされる。また、戦災では西山門も消失している。
なお、現存する建物は、本丸中の段北西隅にある二重二階の月見櫓、旧内山小学校にある二重二階西丸西手櫓で、国指定重要文化財である。
本丸部は原形をよく留めており、勇壮な天守、石垣、門や櫓台跡などを堪能することができ、すばらしい城跡である。また、旭川を隔て本丸北側に庭園に擬装した外郭が「後楽園」と呼ばれ遺存し、大名庭園の日本三名園の一つとされている。

道 案 内
山陽自動車道岡山インタを下り、国道53号線岡山バイパスを岡山市内へ向かいます。2.8km先で国道は左折します。2km先の岡山大学口の信号で国道は右折ですが、そのまま直進し県道96号線を進みます。 700m先の大和町の信号で右折します。 1.5km先の信号は直進して国道180号線に入ります。300m先の信号で左折し後楽園通りに入ります。 600m先で橋を渡り、左折し、100m先の橋の手前で右折すると後楽園の駐車場です。  

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天守の遠景
    大手門跡
       
  
   月見櫓と内堀     復元の廊下門   六十一雁木上門       
  
月見櫓
               内堀