小坊子嶺城 No30382−01 | (こぼしがみねじょう) |
![]() |
![]() |
本丸 | 尾根の郭 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : 池田城、種ケ城 |
所在地 : 日高郡日高町池田 |
築城年 : 大永2年(1522) |
形 式 : 山城 |
遺 構 : 横堀、堀切、竪堀、土塁、 |
訪城日 : 平成28年5月14日 |
◆ 歴 史 |
大永2年(1522)9月、細川氏の家臣阿波国の三好義長が、当時 紀伊の守護職であった畠山高国が本国の河内に帰っているすきをねらって由良湾に上陸し、引き連れて来た兵と興国寺領の百姓数百人を使役して、小坊子嶺に城を築いた。この小坊子嶺城の築城を知った畠山氏の家臣崎山飛騨守家正は、本城の中野城を子の家時に譲り、急きょ小坊子嶺の谷向かいに鞍賀多和城を築いた。 しかし、10月6日義長が自ら軍を率いて鞍賀多和城に攻め寄せると、家正は抗しきれずに城を落ち延び勝山城へと逃れた。その後、義長は子義嗣に小坊子嶺城を守らせ、一時阿波へ帰国した。 まもなむ高国は河内より戻り、事の次第を知り、11月10日湯川氏や当地の土豪を集め小坊子嶺城を攻め、三好勢を紀伊より追い払った。 |
◆ 構造と感想 |
小坊子嶺城は、日高町池田と由良町里山の境界線上に連なる小坊子嶺にあって、種ヶ城とも、池田城とも呼ばれ、日高町内最大級の城である。 山頂の本丸から四方に尾根が延び、南と東の尾根には連続して4、5段の郭を連ね、北と西の尾根には飛び飛びに2、3の郭を設け、夫々の郭間や端部に堀切や空堀を入れて防御を固めている。登城道にも堀切が所々に入っている。 灌木や雑草、ブッシュもなく見やすい城跡である。 |
◆ 道 案 内 | ![]() |
国道42号を南下し、由良町の中心部を過ぎると里トンネルに入る。トンネルを抜けて60m程先で右折する。そして直ぐに右にカーブして県道23号の南方向に入り、道なりに南下するとトンネルがある。トンネルを抜けて800m程下ると右手に小さな池と池のほとりに「池田城への案内板」がある。 付近の道路余白に駐車し、登城口を入り、左手にある虎ロープに沿って山道を15分ほど登ると城跡に至る。 |
◆ | ![]() |
TOPへ | 戻る |
|
|||
![]() ![]() ![]() 本丸側面の竪堀 西尾根の堀切堀 ![]() ![]() 登城路の畝状竪堀 登城路の堀切 |