貝吹山城  No29401−02 (かいぶきやまじょう)       

主郭南側の段郭 虎口跡

城郭の概要                  
別  名 : 貝吹城
所在地 : 高市郡高取町寺崎
築城年 : 南北朝時代
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、虎口、櫓台、
訪城日 : 平成24年5月26日

歴   史

一騎駆け

貝吹山城は、南北朝時代に越智氏によって築かれた。南西麓にある越智氏の本拠越智城の詰の城として、また北の平野部への進出拠点とされた。
天文15年(1546)筒井順昭によって攻められて開城、以後は筒井方の城となり、天文18年(1549)と弘治3年(1557)の二度、越智方が奪還を試みたが、いずれも失敗している。その後、大和に進出した松永久秀の城となったが、永禄9年(1566)瓜田某の内通により越智伊予守が貝吹山城復帰に成功した。永禄11年(1568)から翌12年(1569)にかけて松永久秀や子・久通などに貝吹山城を攻められ、永禄12年11月に松永方へ明け渡された。松永久秀の滅亡により、越智氏が貝吹山城に復帰したかは定かでないが、天正8年(1580)には織田信長の破城令により廃城になった。
天正11年(1583)一族の内紛から家秀が殺され、越智氏は滅亡した。


構造と感想

貝吹山城は、越智氏の本拠越智谷の北側に東西に連なる丘陵の最高峰である標高209.9mの貝吹山山頂に築かれている。
構造は、山頂に主郭を置き、南北に延びる尾根筋に郭を連ねる連郭式山城である。中心部の北西隅から北西に延びる尾根は、西の越智氏の館へ通じるとされ、明瞭ではないが古墳の上部を削平した程度の郭が設けられている。さらに中心部の南東隅から東に延びる支尾根には、無数の段郭や帯郭が築かれ、東端部にはやや広い削平地があり、中央に土壇が残っている。また、北東隅から北に二筋の支尾根が延び、多くの段郭が築かれ、谷間にも三段の帯郭が設けられている。
越智氏の詰城だけあって、相当な規模であるが、段郭中心の古い形態の城で、草も繁茂しており、十分に整備がなされていない城跡である。


道 案 内
国道24号の橿原バイパスと大和高田バイパスが橿原市西端で交差する所から南へと県道35号線に入る。200m程南下して近鉄を越え、2.2km程南下した一町北交差点で左折する。まだ県道35号線で430m程東進して右折し、1.5km程南下した信号交差点を左折する。1.5km程東進した飛鳥病院を越えて直ぐの左手奥に古墳が見え、古墳裾に城跡への道案内が立っている。付近の余白に駐車出来る。

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