柏原城 No28227−03 | (かしはらじょう) |
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出丸と空堀 | 二郭の東部 |
◆ 城郭の概要 | ![]() (国見山展望台を見る) |
別 名 : 水谷城 | |
所在地 : 宍粟市山崎町金谷字石ケ谷 | |
築城年 : | |
形 式 : 山城 | |
遺 構 : 土塁、竪土塁、堀切、横堀、土橋、 | |
訪城日 : 平成26年4月12日 |
◆ 歴 史 |
築城年代は定かではないが、城主に早瀬帯刀正義の名が伝わる。天正8年(1580)の秀吉軍の長水城攻めの際に長水城の宇野氏家臣の小林、春名氏等が立て籠もたが、秀吉軍の攻撃前に落城したとされる。この時、同山中にあった天台宗の遊鶴寺も戦火で消失、廃寺になった。 |
![]() ![]() 北端の堀切 主郭北側の帯郭 |
◆ 構造と感想 |
柏原城は、たつの市新宮町(旧揖保郡)と宍粟市山崎町(旧宍粟郡)の境界を形成する山系の標高453mの一ピークに位置し、北方遥かに長水城を望む事が出来る。しかし、直線距離で6km弱と軍事的位置関係には疑問があるとされ、国見山を含む東方監視を目的とする旧揖保郡側からの「境目の城」でないかとする見方もあるようである。 国見の森公園交流館から林道を40分程登ると登城口案内に至り、そこから山道に入る。山道を20分程歩くと空堀が巡る出郭が目に飛び込んでくる。出郭に入り北奥の堀切に架かる土橋を越えると二郭である。二郭は東部が伐開され方東かた北方への眺望が開けている。二郭の北は堀切と段郭で防御している。二郭の西半分と主郭は山林のままである。西端は浅い堀切を設けている。 全体としてこの城はシャープさや明瞭さが乏しいように感じられた。 |
◆ 道 案 内 |
中国自動車道山崎インターを下りて一旦因幡街道を230m南下し、山崎インター南交差点で右折、県道26号線に入る。県道26号線南に1.8km程行った信号交差点で右折し、西に道なりに2km程走ると国見の森公園に至る。国見の森公園の駐車場に駐車し、交流館北側の林道を1.5km登った分岐を左手に進む。その先1km程で林道終点となり、後は山道を1.7km程登ると出郭に至るが、山道に入る300m程手前に遊鶴寺跡の案内表示あるが林道をそのまま進む。 |
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