山下城  No28220−01 (やましたじょう)       

本郭を北西より 二郭下の横堀

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 加西市山下町
築城年 : 天文元年(1532)頃
形  式 : 平山城
遺  構 : 堀切、土塁、空堀、堅堀、井戸、
訪城日 : 平成26年4月13日

歴   史
山下城は、地誌「播磨鑑」によると、浦上久松の居城であるとされ、天文元年(1532)頃に築城され、永禄9年(1566)頃に別所氏の兵站拠点基地として改修され、天正6年(1578)まで機能していたものと考えられている。
城主浦上久松は、 『播磨鑑』では播磨から備前に勢力を張った浦上氏の嫡流に連なる人物とされ、別所氏に味方して三木合戦で滅亡したとされる。
浦上氏は、赤松氏の守護代から下剋上で主家を凌駕して播磨西部から備前にかけて勢力を張った戦国大名であるが、戦国時代末期に宇喜多氏の下剋上、黒田氏の攻撃などによって没落し、歴史の表舞台から見えなくなった。浦上久松は、そのような浦上氏の最後の当主誠宗の子供で、塩赤松氏のもとで成長したとする説がある。

構造と感想
山下城は戦国時代には珍しい「平山城」で、賀茂川を外堀とし、丘陵全体に郭や堀切、池などを巧みに配置している。
南の最高所(比高30m)に本郭を配して、二重の帯郭と二郭で「南郭群」を構成し、北東に各種の屋形を中心とした「東郭群」を付帯させ、その前面には西本郭を中心とした大手を守備する「西郭群」を設けている。
本郭と東郭群を分断する大堀切の本郭側裾の遊歩道を登っていくと井戸跡らしき水溜りがあり、そこから左へと登ると相当広い郭に出て、奥に土塁や横堀が見える。南を見ると本郭は一段高く聳えている。本郭からは周囲をよく見渡せ、周りには二段の帯郭が取り巻き、その下に南側を中心に竪堀群が穿たれている。
本郭群から北西にのびる東郭群や西郭群もよく削平された郭が連続している。残存状態のよい遺構が手入れの行き届いた状態で観察でき、元の方々の尽力に感謝である。
  
本郭の眺望      井戸跡         竪堀群

道 案 内
県道117号線を東進し加西市に入り170m程先の西山下バス停のあるY字路で右手の細い道に入る。人家中を160m程行った十字路で右折し、南に道なりに190m程行くと左手が常行院である。
常行院に出ている説明板を確認して目の前の駐車場に車を置いて城跡の在る南方の小山に東側の谷に付けられた遊歩道を登ると城跡である。

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平成26年7月に本郭に設置された案内板の鳥瞰図