平井山ノ上付城  No28215−02 (ひらいやまのうえつけじろ)       

主郭と土塁 三木城を望む

城郭の概要                  
竹中半兵衛重治公の墓
別  名 : 平井山本陣、平井城
所在地 : 三木市平井、与呂木、志染町安福田
築城年 : 天正6年(1578)
形  式 : 平山城(丘城)、陣城
遺  構 : 土塁、櫓台、大手口
訪城日 : 平成26年4月13日

歴   史
羽柴秀吉が別所長治を三木城に包囲した際、本陣を置いた付城で、美嚢川と志染川の間に挟まれた山上に位置し、南西方に三木城が望める。
天正6年(1578)7月織田信長の長男・信忠が三木城を支援する神吉城や志方城を攻略して当地に着陣し、築城したとされる陣城である。8月には羽柴秀吉に引き渡され、秀吉は10月15日に津田宗久を招いて茶会を開催している。その直後、同22日に別所方が襲来して平井山合戦が繰り広げられ、別所長治の弟・別所治定らが討死するなど、別所方の敗北に終わっている。
秀吉は、この平井山以外にも多数の付城を築き、一年八ヶ月に及び三木城を包囲し、ついに天正8年1月17日別所長治は、城兵の助命と引き替えに自刃し、三木城は開城した。これが世に有名な三木合戦「三木の干殺し」である。
この一連の戦い中に秀吉の軍師として活躍した名将・竹中半兵衛重治が病没しているが、最期の地がこの付城であったと伝わる。麓に竹中半兵衛の墓所が設けられている。

構造と感想
大河ドラマ「軍師・勘兵衛」が放映された時期の訪城であり、また、国指定史跡になり駐車場や案内板、訪城道、主郭にはアルミ製の展望台が設置されるなどの整備がなされていた。展望台に登ると三木城などを遠望すことができる。
城の構造は、三方を土塁囲みとする平坦地を主郭とし東西に稜線が延び、その稜線から北側(三木城の反対側)にのびる支尾根に軍勢が駐屯する段状の平坦地群が無数に設けられ、三木城攻めの付城群の中で最大の規模を誇っている。主郭の東側にのびる稜線は、部分的に土塁で囲まれ、櫓台状の土壇が見られる。
なお、従来は秀吉本陣跡の位置は本城の谷を隔てた北側の山上の城跡とされてきたが、江戸時代前期に描かれた『諸国古城之図』(浅野文庫所蔵)に収められている「播磨国平井山」の絵図を頼りに現地確認および測量調査が実施され、本城が絵図と酷似していることが判明し、これによりこの地点が秀吉本陣跡であることが明らかとなったとのことである。

道 案 内
県道36号線の宿原西交差点から国道513号を1.7km程北上すると竹中半兵衛の墓の案内板が出ている。その先の平井公民館のある交差点を右折し、途中に竹中半兵衛の墓の看板が出ているが通り過ぎ240m程行くと右手に説明板と駐車場がある。

: 城跡    : 登り口 TOPへ 戻る