上野城  No26407−02 (うえのじょう)       

中央の大堀切 二郭の虎口

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 船井郡京丹波町南上野
築城年 :
形  式 : 平山城
遺  構 : 土塁、堀切、土橋、虎口
訪城日 : 平成21年9月27日

歴   史
上野城の築城年代や築城者については定かでないが、『丹波誌』上野の項に「当村北ノ山ニ山崎加賀守ノ古城トテ少シノ屋敷跡アリ」とあり、その子孫として山崎勝右衛門の名も記されていることから、山崎氏の居城と思われている。一方、城址に祀られた須知景基のものという供養塔傍らの石碑碑文に「泰山景基大居士 大治五年(1130)二月歿 六条判官為義に従い遠州周智郡より丹州舟井郡追分村に移り 追分村を須知村に改め 在中の丘須知城に拠る」とあり、須知氏の勢力下にあった城砦とも思われる。

構造と感想
上野城は、美女山(標高482m)から北西に延びる支尾根先端部に築かれている。
構造は、東側に主郭を置き、西側に明瞭に残る大堀切を介して方形の二郭、三郭が連郭式に配置されている。主郭は西端部に物見台と思われる土壇があり、南側に腰郭を数段付帯させ、その東寄りに平虎口が開いている。主郭東部は後世の改変を受けており原形は不明である。大堀切は城道を兼ねていたようで二郭側の中央に平入り虎口が開いている。二郭の東面から北面を分厚い土塁が取り巻き、三郭との間は土橋を伴った横堀で区画されている。三郭も東面から北面にかけて土塁が囲繞している。三郭の西側は広い単調な平坦地となっており、後世の改変があったと思われる。
尾根続きの背後は堀切で遮断し、北側に入り込む谷を天然の堀とし、南側は腰郭や帯郭で防備を固めており、比高は小さいが土塁に堀切、横堀も見事な堅城である。

道 案 内
京丹波町役場から南東へ1.3km程の所に城跡はある。国道9号の京丹波町役場交差点から980m程南下した須知交差点で左折する。府道80号線に入り、道なりに1km程進むと道が大きく右にカーブする。カーブの先90m程のY字路で右手に入り、道なりに140m程行って右折する。60m程先正面の林が城跡である。余白に駐車。

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