俵崎城  No34205−04 (たわらざきじょう)       

2郭の切岸 3郭の井戸

城郭の概要                  
別  名 : 俵崎山城
所在地 : 尾道市瀬戸田町鹿田原
築城年 : 南北朝時代
形  式 : 山城
遺  構 : 郭、土塁、堀切、竪堀、井戸
訪城日 : 平成27年9月11日

歴   史
主郭の南方向
俵崎城は、生口島の北西部に位置し、佐木島、高根島に挟まれた水道のほか、三原湾や因島を見渡すことができる眺望の良い低丘陵に築かれた山城である。
生口島は、南北朝期には南朝方が拠っていたが、康永元年(興国3年、1342)に小早川氏が侵攻し、その勢力下に置き、俵崎城は沼田小早川氏の庶流の一族生口氏の館城的な性格を持った山城とされ、瀬戸田の町と港湾の監視・警護の拠点であったと考えられている。そして、詰めの山城としての性格が強い島中央の茶臼山城と連動して、生口島北部を支配していたと推測されている。
なお、『芸藩通誌』には生口半左衛門の名が見えている。

構造と感想
俵崎城は、標高約30mの頂部に主郭を置き、その下方の北西側から南東側にかけて3 つの郭を連ねている。主郭西側の下方に堀切、北西側には2 条の竪堀が配置されている。3つの郭の中央が2郭で現在は俵崎神社が鎮座し、南東端が3郭で立派な石積み井戸が大きな口を開いている。
2郭の西隅から主郭へ登るためのロープが垂らされており、登ってみたが主郭内は樹木や竹林に覆われ、入れる状態ではなかった。
俵崎城は発掘調査が実施されており、14 世紀後半から 16 世紀後半までの土師質土器のほか多数の生活用具が出土し、土器の出土量や遺構の内容から16 世紀前半以降に最も城の機能が高まったと考えられている。
主郭には礎石建物が建てられ、柵または塀の巡る土塁や堀切、竪堀が構築され、恒久性のある拠点として整備されていたとされる。また、主郭で検出された建物の周辺からは、火を受けた自然石や土、赤く変色した壁土、さらに火を受けた軒丸瓦や平瓦も出土している。
中世では大規模な城や館を除いて、建物が多く建てられることはなく、瓦葺きの建物にいたってはほとんど確認されないのが通例で、このような小規模な城に建ていることは珍しく、特異な事例とされる。

道 案 内
しまなみ海道生口島北インターを下りて県道81号線へ左折する。県道81号線を北方向に島の外縁に沿って道なりに6.4km程行った沢交差点で左折する。南に150m程行った左手が俵崎城跡で、尾根の北側から俵崎神社の参道がある。参道口から主郭まで5分程である。
俵崎神社の対面が耕三寺で、参拝者の無料駐車場が使えばよい。なければ、尾根先端東側の厳島神社の駐車場を利用させてもらう。

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