千守城  No34205−03 (ちもりじょう)       

本丸北面の石垣 本丸の井戸

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 尾道市因島三庄町千守
築城年 : 至徳3年頃
形  式 : 山城
遺  構 : 郭、石垣、土塁、井戸、
訪城日 : 平成27年9月11日

歴   史
千守城は、地元で小早川氏の城と伝承されている。
南北朝争乱期の康永元年(興国3年、1342)に伊予衆を中心とするこの島の南朝方を北朝方の小早川氏が攻めたのを契機に芸予叢島への進出が始まり、その武力を背景に一族や惣領家が官職を得ており、至徳3年(元中3年、1386)には竹原小早川弘景が三津荘領家職を給与され、この頃に千守城が築城されたと推測されている。
小早川氏がこの地を退いた後は、因島村上氏の家臣・篠塚貞忠の居城となったと伝えられている。

構造と感想
本丸の高さは海抜79mとほぼ同じで、大手口は東の備後灘方面に面し、本丸を中心にして同心円状の郭4段の構成となっている。他の遺構としては井戸、石垣があるが、変わったところでは、石積みによる水槽のようなものが残っている。

千守城は、三庄湾が西に入り込んだ最奥部の海岸近くまで観音山から南東に派生した尾根の先端標高79.2mの丘に築かれている。
構造は、山頂に方形の本丸を置き、その周囲を取り巻くように四段の郭を階段状に付帯させ、尾根続きとなる北西に石垣を伴った削平地を設けている。本丸には社があり、北側に土塁と石垣が残り、東側の参道石段の右手には内側に石積を施した井戸も残っている。
旧状をよく留めているとされるが、綺麗な削平が多く後世の改変を受けているように思える。

道 案 内
国道317号を南下し湊大橋交差点で左折し県道120号線に入る。県道120号線を北東に890m程行った郷交差点を直進し、道なりに1.4km程で県道366号線とのT字路に突き当たる。そこを左折して県道366号線に入り230m程行って左折する。細い道を北西に200m程入って行き左折、道なりに170m程進むと左手にごみステーションがある。そこの空き地に駐車し、奥の山腹に見える安楽寺から山頂へと登ると城跡である。

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本丸の土塁              削平地