青陰城  No34205−02 (あおかげじょう)       

本丸 立体模型

城郭の概要                  
別  名 : 青影山城
所在地 : 尾道市因島中庄町青陰、田熊町城
築城年 : 南北朝期
形  式 : 山城
遺  構 : 郭、堀切、木戸跡
訪城日 : 平成27年9月11日

歴   史

築城年代を記す史料も存するが、因島に城郭を構える必要が生じたのは南北朝期と考えられている。康永2年(1343)青陰山の北麓から東に広がる中庄町(かつては広い入江だった)の東南端の堂崎山城で、南北両軍の激しい戦いが繰り広げられており、青陰山城もこの戦いに関連して築かれたと推測されている。
南北朝期、北朝方の主力が安芸の小早川氏で、芸予叢島へ進攻し、これに対し南朝方の主力は伊予衆で北朝勢力の南下を防ぎ、北上するため、因島を東西に走る山並の北東端に堂崎山城を置き、西端に青陰城を築いたと考えられている。
青陰城の南麓館跡は南北朝期に活躍した伊予衆の「今岡氏屋敷跡」と伝えられ、北麓館跡はその後に因島を支配した村上氏のものと云われ、築城には今岡氏が関わったのでないかとされる。


 
二の丸          一騎駆けと帯郭  

構造と感想

因島中央を東西に縦断するように山々が連なっており、その西端部の標高275mの青陰山に築かれている。眺望に優れ島の南北のほとんどを見渡せ、東側の風呂山、西側の山伏山にも関連する施設が設けてあったようである。また、青陰山と山伏山の間、風呂山の東麓には、島の南北を繋ぐ山道が通る要衝地でもある。
構造は、頂部に本丸を構え、西側に一段下がって三の丸を付帯させている。本丸から東へ一段下がって一騎駆けとその北側に帯郭が並行して延び、その先が二の丸で、北東側に腰郭を伴っている。その下方の支尾根に堀切や数段の段郭が設けられている。二の丸から南東の鞍部に城道が下り、風呂山との間に堀切と二の木戸を構えている。そこから城道は北麓へと下り、二段築成の館跡へ通じ、その外側に一の木戸があったようである。また、二の木戸から南に下ると今岡氏屋敷跡と伝わる削平地へ通じている。
この城の防禦は険しい山容と高さに依拠し、単純な造りであるが、本丸からの眺望が素晴らしい。
なお、訪城の際には、近くの菩提寺・金蓮寺、観光施設・因島水軍城、尾道市因島史料館(一ヶ所にまとまっている。)も訪れられるとよい。


道 案 内
しまなみ海道因島北インターを下りて右折し、県道367号線に入る。東方に1.39km程行った因島北インター(南)で右折し、国道317号に入り南へ600m程行った昭和橋西詰交差点の50m程先で右折する。右折後70m先で右・左にクランク状に進む。後は道なりに進むと因島水軍城に至り、無料駐車場が完備されている。
青陰城は、昭和橋西詰交差点から国道317号を2.6km程道なりに南進し要橋西詰交差点で左折し、さらに国道317号を南に1.7km程行った金山フェリー前交差点を直進、県道366号線に入る。県道366号を880m程東進した右手が因島田熊郵便局で、その前で左折し路地に入る。路地を170m行きY字路で右手に進む。道なりに400m程進むとY字路で右手に入る。道なりに360m程行ったY字路で左手に進む。道なりに250m程行って左折し、50m先の宝寿寺前の分岐で右手の道へ進み、その後は道なりに終点まで行く。終点に回転スペースがあり、少し戻った所に駐車できる。

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    本丸よりの眺望       水軍城より青影山を望む(中央)

 
金蓮寺の村上氏墓所        水軍城