神田城  No30406−01 (かんだじょう)       

主郭の南方向 二の郭の南方向

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 西牟婁(にしむろ)郡すさみ町神田
築城年 : 永禄12年(1569)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、横堀、堀切、畝状竪堀、石垣、
訪城日 : 平成28年5月15日

歴   史

永禄12年(1569)宇都宮勘解由藤原道直によって築かれたと云われる。
宇都宮道直は下野国宇都宮氏の後裔で、織田信長に敗れて阿波へ逃れ再起を図っていたところ、周参見城主・周参見主馬太夫に招かれて、当地へ移り住み、神田城を築いて居城とした。
しかし、信長に対する恨みは消えず、天正3年(1575)本願寺光佐と結んで、一向一揆を起こし、石山本願寺で織田軍と戦ったが、秘かに神田城に戻って、一族を解散させ、姓を神田と改姓し、潮岬本の宮に移り、武士を棄てて下野したと云う。


構造と感想

神田城は、JR紀勢線周参見駅の東側に聳える300m級の山塊の北西隅から北に向け張り出した独立丘状の神田山先端の頂部(標高80m)に築かれている。
構造は、最高所に主郭を置き、その北側5m下に二の郭を配し、南側の次のピークには三の郭を設けている。二の郭の北側には通路を残して両斜面に三重に竪堀を落とし、主郭の南側も大堀切と三重の堀切を入れている。二の郭の西斜面には竪堀が東に折れ横堀となって延び、その南端は石垣が積まれた土塁となっている。主郭の西斜面は畝状竪堀を大堀切まで連ねている。このように本城の主要部は、堀切や竪堀、横堀によって厳重に防備されている。三の郭の南北両側にも一本づつ堀切が入っているが、郭内の削平は甘く自然地形に近い。。
主郭は、南側に分厚い土塁が築かれており、櫓台を兼ねていたと思われ、虎口は北側土塁中央に開口があり、二の郭から石段を登り平入りで入る。
二郭は、東側から北側にかけて土塁を廻らし、土塁の内側には石積の痕跡が残る。虎口は北側から竪堀間に残る土橋を渡って入る。
小規模ではあるが、多彩な防御施設が使い分けられており、見所の多い城跡である。


道 案 内
金毘羅神社脇の登り口
紀勢道のすさみインターを降りて県道38号線の北方向に入る。道なりに1.4km程走ると紀勢道の下を通る。紀勢道の下から450m程先のY字路で左手の細い道に入る。100m程先の左手に持宝寺があり、お寺の墓地から津波避難の道標に従って登っていくと金比羅神社があり、その脇から城への登城道がある。持宝寺の駐車場を借用。
  

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二の郭の東側土塁         二の郭虎口前の土橋と竪堀

 
北端の三重竪堀         主郭南側の大堀切

 
主郭南側の三重堀切       主郭西斜面の畝状竪堀

 
二の郭西斜面の横堀南端の石垣           主郭の城址碑