檜牧城  No29212−04 (ひのまきじょう)       

北西面の畝状竪堀 南西尾根の二重堀切

城郭の概要                  
別  名 : 自明村の塁、檜牧山城、
所在地 : 宇陀市榛原檜牧自明
築城年 : 室町期
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、空堀、堀切、
訪城日 : 平成23年5月7日

歴   史
檜牧氏の居館は字市場にあり、檜牧城は居館に対する詰城か。檜牧氏は、秋山、芳野氏とともに宇陀三将の一人とされた沢氏の同名衆で、天文23年(1554)には沢氏の名代を務めたとされる。永禄3年(1560)11月に松永久秀に攻められ、開城している。
 
南尾根の堀切と三郭     北背後の堀切と土塁

構造と感想
檜牧城は、宇陀郡旧榛原町檜牧甲自明にあり、宇陀川支流の内牧川により形成された檜牧の谷の奥を塞ぐように張出した尾根に立地している。
城の規模は、大和国では中規模で、空堀が実戦的であるとされる。頂部にL字型の主郭を置き、その南北に堀切を設けて区画している。南西側に一段下がって二郭を、南に堀切を隔てて三郭を配した連郭式構造である。
尾根続きとなる北方は、主郭北側の堀切外に土塁を築き、続く尾根筋を馬の背に削り落し、再び堀切を穿ち、鞍部斜面を切岸としている。主郭から二郭の北西面には、堀切から南西に向け空堀が設けられ、外面に5本の畝状竪堀が落されている。これを日本城郭体系では石落としの類としているが、形状は畝状竪堀である。二郭の南西先端部は二重堀切や空堀が竪堀へと代わり、堀切と竪堀が複雑に入り組む特異な構造をしている。また、郭内の削塀は見事で各遺構も明瞭に残っており、雑草等もなく、見やすい良い城跡であった。

道 案 内
国道25号(名阪国道)針インターで下り、国道369号を南下する。10.4km程先のトンネルを出て直ぐのT字路を左折し、国道369号を道なりに2km程来ると自明バス停があり、バス停から360m程先で左折する。直ぐに内牧川に架かる不動橋を渡り道なりに山に向かい250m程行き右手に入る道の突き当たりが登り口である。
車庫の横にある山道を進むと、左手に「城山わさび園」の手作り看板があり、さらに進むと墓地があり城の南端に至る。

: 登り口   : 城跡 TOPへ 戻る