赤埴下城  No29212−02 (あかばねしたじょう)       

東の堀切 主郭東方向

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 宇陀市榛原赤埴乙
築城年 : 戦国期
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、土橋
訪城日 : 平成23年5月7日

歴   史
赤埴下城は、南北朝期に赤埴氏が築いた赤埴上城の支城と考えられているが、城歴等の詳細は不明である。
赤埴氏は、南北朝時代に南朝方として活躍し、その後、伊勢国司北畠氏に従い宇陀七人衆(沢、秋山、芳野の宇陀三将に継ぐクラス)の一人に数えられている。

構造と感想
主郭の帯郭
上俵地区が存する谷地形の南東奥の丘陵上に赤埴上城があり、赤埴下城はその谷地形の入口北側に張出す尾根上に築かれており、地形上から見ると本城と出城の関係にあると思われる。
赤埴下城は、仏隆寺の南下に東から西に細長くのびた尾根上に築かれた城砦で、仏隆寺駐車場の南側上方に位置し、道路から西へ10mも入れば東郭であり、堀切を隔てて細長い主郭となり、その西側を二重堀切で遮断している。主郭の南と北側に帯郭が付帯し、主郭東西の堀切と繋がっている。
遺構の残りも良く、訪れ易い城ではあるが、構造は単純で小規模な城である。

道 案 内
国道25号(名阪国道)針インターで下り、国道369号を南下する。10.4km程先のトンネルを出て直ぐのT字路を左折し、国道369号を道なりに3.9km程行った内牧グランドを越えた高井交差点で鋭角に左折する。旧伊勢本街道へ入り、440m程行った高井バス停手前の十字路で右折する。北に60m程先のY字路を手に、20m程先の次のY字路も右手に進む。110m程行くとまたY字路があり、今度は左手に進み、その先を道なりに1.2km程行くとY字路に至り左手に入る。60m程先がまたY字路で右手に進み、道なりに560m程行くと右手に仏隆寺の駐車場がある。この駐車場の背後の丘陵が城址である。

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