姫路城  No28201−03 (ひめじじょう)       

白さ際立つ大天守 白漆喰による屋根目地

城郭の概要                  
別  名 : 白鷺城、姫山城
所在地 : 姫路市本町68番地
築城年 : 貞和2年(1346)
形  式 : 平山城
遺  構 : 現存天守、櫓、門、石垣、土塁、堀、井戸、
訪城日 : 平成28年4月20日

歴   史
元弘3年(1333)鎌倉幕府打倒を掲げた後醍醐天皇の皇子・護良親王の命旨を奉じて挙兵した赤松則村が京に進軍する途中、姫山に砦を築いた。そして、貞和2年(1346)則村の次男貞範が本格的な城(姫山城)を築き3年間、ここを居城とした。これが姫路城の始まりである。
しかし、貞和4年(1348)貞範は庄山城を築いて移ったため、被官の小寺頼季が城代となり、代々小寺氏がこの城を護った。
嘉吉元年(1441)赤松満祐は将軍足利義教を謀殺し、城山城に立て籠もったが、山名持豊に攻められ自害、赤松氏は断絶、城代の小寺職治も討死した。これにより山名氏が播磨国守護に就き、その家臣太田垣主殿佐を城代とした。
長禄2年(1458)赤松政則(満祐の甥)が長禄の変で後南朝から神爾を取り戻す功を挙げ、赤松氏再興を果たした。政則は、応仁の乱(1467〜77)の際、山名氏と対立する細川勝元(東軍)に与し、その支援を得て播磨国を取り戻した。そして、当城に本丸、鶴見丸、亀居丸を築き本拠としたが、翌文明元年(1469)隣国但馬の山名氏に備えるため置塩城を築いて移り、小寺豊職を城代とした。永正16年(1519)豊職の子政隆は御着城を築いて移り、子則職が城代となり、姫路城を治めた。享禄4年(1531)則職は御着城に移り、執事八代道慶に姫路城を預けた。天文14年(1545)家老黒田重隆が道慶に代わり姫路城に入り、子の職隆、孫の孝高と3代に亘り在城した。この孝高は、後年の黒田如水である。
天正5年(1577)織田信長の命を受けた羽柴秀吉の播磨侵攻が開始されると、孝高は秀吉の軍師として播磨平定に活躍、天正8年(1580)には秀吉に姫路城を献上し、自身は御着城を居城とした。この時、秀吉は姫路城を三層の天守が建つ近世城郭へと修築した。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦ののち、徳川家康の二女督姫を妻とする池田輝政が播磨52万石を拝領して姫路に入封、翌慶長6年(1601)から大改修に着手し、9年の歳月をかけて五重の大天守と三重の小天守三基を渡り櫓でつないだ連立式天守を中心に、これを螺旋状に囲む本丸(備前丸)、二の丸、三の丸、中郭、外郭を築いた。
元和3年(1617)池田光政が鳥取城へ移り、本多忠政が姫路城主になり、子忠刻の奥方に千姫(徳川秀忠の長女)を迎え、本丸西方の鷺山に西の丸や化粧櫓を造営し、元和4年(1618)に現在の姿の姫路城を完成させた。
その後、本多、松平、榊原氏等が城主として入れ替わり、寛延2年(1749)に酒井忠恭が城主となり、明治まで続いた。

構造と感想
西国の豊臣方大名に対して睨みをきかせる城として築かれただけあって、天守などの建物は勿論のこと、縄張りは「惣郭」構えで、圧倒的な迫力の巨大な城郭である。城域の南はJR姫路駅前、北は城内図書館、西は大野川、東はJR但馬線と国道372号の中程までで、その広大さが分かる。現在でも中堀の大半と内堀内の中心部が当時の姿を留め、外堀も水路として痕跡が残っている。
平成27年「平成の修理」を終えて蘇った「白く輝く大天守」を見てみたいと訪れた。3年もすれば漆喰にカビが生え、築城時のように白く輝く姿は失われてしまうそうで、修理後1年を経ったところでの訪城であり、白亜の大天守を存分に堪能でき大満足であった。そして、姫路城の残存度は抜群で、他の城の及ぶところでない。国宝=大小天守4棟と渡り櫓4棟、重要文化財=櫓16棟、渡り櫓11頭、門15棟、塀32棟などの連続する建物群、その土台となる高石垣の城壁に堀と、その威風堂々とした姿は見飽きることはない。
なお、市内には内京口門、外京口門、中門、東門、埋め門、G門、惣社門の跡および内堀、外堀なども残っており、朝から夕方まで丸一日をかけてあちこち見て回った。

道 案 内
山陽自動車道の山陽姫路東インターより播但連絡道の南下方向に入り、最初の花田インターで降りる。インターを出て直ぐの花田IC西交差点を左折し県道397号線に入る。県道を南に1.8km程行くと御国野交差点に至り右折し国道2号に入る。国道を西に4.5km程行くと大手前交差点で、ここで右折すると目前に姫路城が見える。次の信号で右折した左手が大手前公園地下駐車場(有料)の入口である。

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中郭南側のG門跡        中郭の南側土塁

 
西側中堀               西側内堀

 
南側内堀            大手門

 
菱の門             三国堀と天守

 
はの門へ至る土塀      はの門と天守

  
油塀と水一門           水二門から水三門へ


     西の丸の全              天守の武具掛け

 
 天守の石打棚             天守の破風の間

  
天守の東西大柱          天守の流し台

 
天守出窓の石落とし            天守の二重扉

 
備前丸から天守を見る            備前門

 
 太鼓櫓(への櫓)             ぬの門

 
備前丸西側石垣            西の丸より天守を見る       

 
上山里の秀吉石垣          西の丸の隅櫓