笑路城 No26206−03 | (わろうじじょう) |
本丸の北虎口 | 主郭東面の石積み |
◆ 城郭の概要 | <堀切> |
別 名 : 松尾城、松尾山古城、松尾之城、 | |
所在地 : 亀岡市西別院町笑路 | |
築城年 : 室町期 | |
形 式 : 山城 | |
遺 構 : 中央櫓台、桝形、城戸口、堀切、 | |
訪城日 : 平成21年9月27日 |
◆ 歴 史 |
『長沢重綱遺書』から享禄年間(1429〜41)に長沢六郎正綱が別院庄に帰り居住して後に当城を構築したと推定されている。その後、応仁の乱に臨んで、最高所の削平地を東西に二分するように中央櫓が築かれた。長沢宗重の記した『長沢氏由緒略伝』に、弘治年間(1555〜58)と永禄年間(1558〜70)の両度にわたって松永久秀が攻めてくるとの知らせにより、松尾山に砦を構えたとあり、この頃に天守台と桝形が出現したと見られている。 天正5〜7年(1577〜79)の頃には、城主の長沢家綱が丹波攻略中の明智光秀と法貴坂戻り岩で対面し所領を安堵され、以後、光秀に従い本能寺の変では軍功を挙げたが、羽柴秀吉との山崎合戦で討死している。 発掘調査の結果では、天守台や桝形が出土しており、当時としてはすばらしい威容を誇ったと考えられている。 |
◆ 構造と感想 |
笑路城は、亀岡から摂津池田に抜ける国道423号(丹波街道)から能瀬・犬甘野方面へ分岐する三叉路の南東の送電鉄塔が建つ山稜上に所在している。 この城跡では、主郭への関西電力の鉄塔建設に伴い発掘調査が実施され、中央櫓跡や天守台、桝形などが検出されている。 城の構造は、山頂部の主郭を挟んで東側に東郭を、西側に腰郭(馬掛郭、乾郭)と細尾根を経て西峰郭を配し、東端は堀切で遮断している。主郭は、東西70m、南北20〜25mの規模で、中央に南北約9.4m、東西約3m、高さ約1.5mの中央櫓、その南端に一辺が4.8〜5.1mの不等辺四角形の天守台が築かれ、本丸と西郭に分割されていた。西郭には、天守台西側の桝形、それに続く東西方向の多聞櫓が築かれていたとされ、その眺めは壮観であったと容易に想像できる。 |
◆ 道 案 内 |
京都縦貫自動車道の亀岡ICから国道423号を6km程南下して府道723号線との三叉路手前左手の石の鳥居辺りに駐車して、左手の山裾を200mほど南進した所に小さな城跡の案内がフェンスに付いており、それに従い左手へ進むとと登り口である。10分強も登って行くと東端の堀切に至る。 |
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