太田城  No26206−02 (おおたじょう)       

北側の堀切 東郭の土塁

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 亀岡市稗田野町太田
築城年 : 室町期
形  式 : 平山城
遺  構 : 土塁、堀切、堀
訪城日 : 平成21年9月26日

歴   史
嘉吉年間(1441〜44)に松井肥後守宗治が城山の西峰に八幡宮の神祠を祀ったとの史料が残されており、それ以前に松井氏が築城したと考えられている。
松井氏は天正(1573〜92)初め、明智光秀の和平作戦に参加し、山崎合戦ののち郷士になり江戸期を迎えたとされる。

構造と感想
大田集落の南側に突き出した丘陵先端部にある小丘頂部に主郭が置かれ、八幡宮が祀られている。頂部から東と南に支尾根が伸びそれぞれに数段の段郭が設けられ、東面は急な斜面となって落ちる。南側と西側麓には大きな用水池があり、堀の機能を果たしている。北西の山丘続きは堀切で遮断し、防備を固めている。
なお、小丘の北背後の山上240m付近に詰城の太田山城が、西側の池を隔て北から南に細長い尾根が伸びており、その尾根筋に西出郭群が構えられ、さらに麓や谷部分に館跡らしき平坦地が多数見られ、土豪の城としては不相応な規模に規模が思われる。

道 案 内
国道372号の亀岡運動公園前交差点から西に1.3km程行った国道佐伯バス停のある十字路で右折し北に入る。北100m程先の神社前の突き当たりで右折し、東に20m程行って左折する。後は北に道なりに720m程行った大きく左にカーブする手前で右折し、東に430m程池沿いに進むと左手に入る道がある。この道の奥50m程の所から左に池東岸から北岸を進むと八幡神社の石段下に至る。石段を登り八幡神社のある頂部一帯が城跡である。

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